自分に恥じない生き方を。8月22日、皆様のお気持ちが嬉しく、よい誕生日を迎えることが出来ました。いつもまほろばへのご声援をいただき誠にありがとう御座います。家族はもちろん、我々まほろばに関わってくださる方々に感謝の想いでいっぱいです。これまでも、夏真っ只中の誕生日は何かと慌ただしくしており、いつも自分で気づく前に、家族や友人、関わってくださる方々がお祝いの言葉を贈ってくださり、強く誕生日を実感することができています。本当に有り難いことです。毎年、歳を重ねると、なりたかった自分に近づいているだろうか、全力を尽くしているだろうか、過去の自分から怒られないだろうかと考えます。自分に恥じない生き方を。今この世に存在できていることに感謝を。太鼓と音楽があって今の自分があり、先を想い描く事が出来ています。これからも自分らしく志を胸に、妥協なき音創り、演奏表現をもって、気持ちをお届けしてまいります。今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。2019.08.23 12:20
音楽を創る日々最近のまほろば、次なる公演に向けての打ち合わせが続いています。公演の詳細など情報公開が待ち遠しいです。そして、公演の打ち合わせ以外のまほろばの日々はといいますと、楽曲を創り続けています。長いトンネルの中を歩き続けるような日々、というと少し暗いですね・・・。複数の楽曲を同時に進行しているため、光が見えたと思えば次のトンネルが待っていて、出口があるのだろうかと不安を感じながらも、また一歩踏み出す、そんな日々です。ここでのポイントは、出口がはっきりとは見えていないという事です。作曲のトンネルは、意外と短い時もあれば恐しく長い時もあり、何度作曲してもその道は予想を裏切ってきます。(それは面白さでもありますが。)どうも後ろ向きな空気が流れてきてしまいましたが、もちろん曲は創りたいのです。自分たちの音を届けたいですから。音を届ける事ができるという幸せは何にも代え難いものです。それは演奏をしている時もそうですが、それまでの苦が吹き飛び、自分という人間が存在できている事を深く感じられるような・・・うまく言葉で表しきれませんが、その瞬間があるから日々を生きる事ができています。音楽に救われている。大袈裟ではなく、いま存在している世界がとても輝いてみえる。その時間は素晴らしい音楽と共にあります。だから、曲を作りたいし、その出会いを楽しみたい、音に包まれた日々を積み重ねて、まだ見ぬ世界へと。もう少しこの不安を楽しむような余裕があればな・・・でも次の光りを求めて一歩ずつ進みます。「毎日聴いてます」と伝えてくれた、あなたの言葉がまた力をくれます。ありがとう御座います。2018.03.14 09:30
「太鼓と共に」太鼓と僕、その関係性「小学生になったら太鼓を始める。」 両親は太鼓教室の先生でした。 姉も太鼓を習い、自然と家族共通の話題は太鼓。両親の太鼓の稽古についていき、演奏についていき、祭りにもよく参加しました。自然と太鼓に触れる機会が多く、 気付けば太鼓が好きになっていました。小学生の頃は、「友達と遊びたいのに今日も太鼓か…」なんて思う事もありましたが。 今思えば、本当に恵まれた環境でした。 太鼓をはじめた当初は、ゲームのように課題をクリアしていくことに夢中になるばかりでした。しかし、とある大切な行事に子供太鼓での出演が決まり、いつもは楽しいお稽古が、とても厳しいものになった事がありました。子供ながらに 「楽しくした方がいいのに」と思っていましたが、その厳しい稽古の理由は、出演が終わった時の拍手により気付かされることになります。より良い演奏をするために、 1つの目標に向かい、ただひたすらに腕を磨く。それが厳しいものだとしても、それを越えた時にしか感じる事ができない感情があると。ずばり、皆さんも感じた事がある成果を挙げた時の喜び、緊張からの解放、「達成感」というものでした。でもその頃の僕にとってそれは、より特別な何か魔法のようなものに感じました。この時のことは、今でもよく覚えています。何故なら、「もう太鼓を辞めようかな」(早すぎる!)と思っていた時に起きた出来事だったのです。(辞めようと考えていたのは、この頃の一度だけ。)以後、さらに稽古に身が入るようになり、技術を向上させること、作曲をすることなどの楽しみを知り、無事に (?) 辞めることなく、この時の出来事がきっかけで、太鼓の世界へと深く入っていくことになりました。幼い頃から、太鼓はとても身近な存在でした。話しを聞いてくれる友人のようで、僕の想いを受け止め、共に伝えてくれる相棒のようでした。いつしか、学びを与えてくれる家族のようになり、人生の困難に希望を与えてくれる、生きる支えになりました。太鼓よ、 今後とも、末永くお付き合いのほど宜しくお願い致します。2016.09.15 14:42
僕にとって「まほろば」は生きる希望何だか大袈裟なタイトルになってしまいましたが...まほろば、は日本の古語で「素晴らしい場所」という意味を持ちます。「まほろば」を始めることを決めた当時、 自分が生きる意味(少々極端ではありますが) そして、太鼓を打つ意味、を見失いかけていました。 絶望の中に光りを。 希望を求めていました。自分のためという事以上に、 当時の僕のような境遇にある他の人にとっても、希望となる活動をしていきたいと思い、 名を「まほろば」としました。祭りのような非日常を感じる事ができる場所を創りたい。 まほろばの作品(音楽や演奏)を通して、そのような時間をお届けしたい。 皆さんにとっての「素晴らしい場所」のひとつになれればと。誰かのためにという想いは、大変おこがましいのですが。想いを込めて表現を続ける事ができる場があり、またそれが、小さくても誰かの希望となる活動であったなら、そこは僕たちにとって「素晴らしい場所」だと感じたのです。 まほろばの世界は始まったばかりです。これからどのような世界が広がっていくのか。 お楽しみ頂けたなら幸いです。2016.09.12 08:17
「まほろば日記」はじまりました。まほろばを応援頂いている皆様、いつもありがとう御座います。 公式ブログ「まほろば日記」が始まりました。その昔、個人でブログを書いていた頃がありましたが、 まさか、またこうして新たにブログを書くことになるとは思ってもいませんでした。せっかくですので、日々の楽しみとして、 まほろば、太鼓、音楽への想い、はたまた他では書きづらい(?)、個人的なこだわりや趣味のことなども書いていきたいなと思っています。皆様、どうぞ宜しくお付き合いくださいませ。はじまり、はじまり。2016.09.12 03:18