春 -HARU-

歌・作詞・作曲・編曲|Lyrics and Vocals / Composition / Arrangement

OFFICIAL SITE
https://www.w-mahoroba.jp/

記事一覧(28)

一夜限りの夏

東京夜光とまほろばのコラボレーション企画『夜叉ケ池のほとりで星が鳴く』、無事に終演となりました。長い長い梅雨が続く中、雨が降らなかった不思議な一日の、一夜限りの公演。スクリーンに見立てた20本以上の傘に映る花火の映像が目に焼き付いています。およそ100年前の夜叉ヶ池の物語。個人的にも好きな時代の日本、そして山村を舞台とした物語の中で、自分たちが作った音楽が、演奏されることを喜んでいるように感じました。きっとそれは、まほろばの音楽に通ずるものが、物語の中にたくさん息づいていたからかなと思います。美しく厳しい自然の中、かつて人は皆で力を合わせることで初めて生きていけたこと。人々の関わり合いの中に生まれる、生きることのその先にある希望のようなもの。きっとお越しいただいた皆様、それぞれに受け取っていただいたものがあると思いますが、今はまだ「種」のようなその感情であっても、いつか何処かでそれが芽吹き、育ち、皆さんを新しい景色へと導いてくれたら良いなと思える公演でした。そして何より面白かった!台本が出来てから本番まで、いつも新しい笑いがあって、脚本家の川名さん、そして役者さんたちの力を見せつけられました。今回は一夜限りでしたが、またいつか再演できますように。当日会場に足を運んでくださった皆様、そして遠くから成功を祈ってくださっていた皆様、誠に有難う御座いました。

風の時代

2019年もそろそろ半分が過ぎようとしていますが、2020年から〈風の時代〉が始まる、ということをどこかで耳にしまして、出来る範囲で情報を集めてみるとなかなか納得の行くお話でした。ちなみに今は〈地の時代〉、そして〈風の時代〉は2020年から200年続くのだそうです。それがどういう時代か、という所にももちろん興味を持ったのですが、なにせ200年続くということで、そちらの方に意識を持っていかれましたよね。200年。今生きている人間(亀などは長生きな種類もいますから)は200年後にはもう誰もいないわけで、この地球上の人間が総入れ替えしている、ということになります。ああ、なんだか寂しいなと、しんみりしてしまいました。自分も家族も、渋谷の交差点を忙しく歩く人々も、200年後に同じ人は絶対存在しない。でも〈風の時代〉という一つの事柄は続いていて、語り継がれたりしていくわけです。〈地の時代〉にだけ生きた人々が、次にくる〈風の時代〉を語り継いだように。このことを思うと、今自分の周りに生きている人、世界中の人に、「同じ時代に生まれたものです。宜しくお願いします。」と遅ればせながらも挨拶して回りたい気持ちです。同じ時代に生まれたご縁ですから、どうかどうか仲良くしてくださいと。しかしそうなってくると気になるのは亀の寿命。200年とは言わずとも、180年ほど生きる種類がいるようです。今年生まれた亀は〈風の時代〉を越えて、次に来る〈水の時代〉を見るのかも。これまでもこれからも、物言わず、心静かに、いくつもの時代を生きているのだね、亀よ。亀さんよ。私も無駄口は慎み、あと数十年の人生、粛々と、良い作品を生み出していきたい所存です。作品と言えば、先日始まった【まほろば音遊び】、皆さまご覧いただけましたか?まほろば2人で、自分たちの楽曲についてお話ししています。これまで発表してきた様々な楽曲を少しずつ紐解き、同じ時代を生きる皆さまに まほろば の曲をさらに深く知っていただければ幸いです。次回の動画もお楽しみに!

3月のこと

もう二ヶ月も前のことになってしまいましたが、3月8日に開催されましたまほろば主催公演『HO. KO. LA -風記-』にお越しくださいました皆様、改めまして誠に有難う御座いました。公演に向けての準備が始まってから、来る日も来る日もこの日のことを考えていたので、たった一日で終わってしまった『HO. KO. LA -風記-』に少し寂しさを感じつつも、終演した後は兎にも角にも「無事に終わって良かった」という安堵感でいっぱいでした。とは言えその後すぐM3に向けた制作作業を行っていましたので、3月はあっという間に過ぎ、4月も過ぎ、5月になった今、公演を振り返ることができる落ち着きを取り戻しました。今回の『HO. KO. LA -風記-』は二部制というかたちを取り、一部では私たち「まほろば」を、そして「まほろばの作る音楽」をより知っていただけるような演目、MCでお送りしました。まほろばについて、楽曲について、今まではあまり語ってこなかった部分を皆様と共有出来たことが、私個人としては嬉し恥ずかし、何だかくすぐったい気持ちでした。まほろば2人での楽曲制作について、そしてMCでなぜ私ばかり話すのかについては、前々から気になっていたことなのでこれを機にお伝えできてよかった!そして二部は組曲「羅針盤」。今回が初お披露目となった新曲を含め、まだ音源としては未発表の曲たちを軸にお送りしました。こちらは中塚理恵さんによって描かれたそれぞれの曲のイメージイラスト、そして曲に込めた私たちの想いを元にした詩の朗読によって、「羅針盤」という、まほろばの表現する新たな日本幻想世界をじっくりとご堪能いただきました。一曲毎に描かれた絵は、イラストレーターの中塚さんと何度も意見交換を重ね、とてもとても丁寧に描いていただいたものです。楽曲制作中に私たちの頭の中にあったイメージを、中塚さんの繊細で美しい、しかししっかりと芯を感じる、たまらなく格好良い絵の世界として描き下ろしていただき、それをどこよりも早く、『HO. KO. LA -風記-』にお越しいただいた皆様にご覧いただきました。そして役者のお二人、丸山港都さん、笹本志穂さんによる詩の朗読は、同じ「言葉」でも、音楽と詩、こんなにもそれぞれ力の宿り方、届き方が違うのだなと「言葉」で「声」で、舞台上の私たちをも魅了してくださいました。この時朗読していただいた詩は、脚本家の川名幸宏さんがこの時のために書き下ろしてくださった作品もあり、曲とイラストと詩が重なって一つの作品でもあるので、またどこかの機会で皆様にお届けできたらなと思っています。そして今回衣装が大きく変わったのも、「まほろば」をより知っていただきたいという想いに沿ったものでした。かねてよりまほろばを応援してくださり、私たちもその強い信念に全幅の信頼をおく服飾デザイナー緒方義志氏に衣装製作をお願いし、こちらも何度もやり取りを重ね、今のまほろばの音楽を表現するのに最も相応しいと思える衣装を作っていただきました。動きやすく、無駄がなく、身に纏っていることになんの違和感も無い、しかしそこに込められた作り手の意思が、心をしゃんとさせてくれる、そんな衣装で公演が出来、良い意味でのプレッシャーを感じつつも、 何よりも本当に驚くほど心が軽く、気持ちが良かったです。『HO. KO. LA -風記-』公演についての、まだ外側のことしか触れていませんが、長くなってきましたので一先ず今回の日記はこのあたりで。春-HARU-photo by kaoru sato

不可能の向こう側

私たちが主催するライブイベント「HO. KO. LA」、第三回目となります。先日特設サイトが公開となり、同時に《特典付きチケット》の販売が開始されました。主催公演も三回目を迎えることができた今、日記に書き残しておきたいと思ったのは、“人はなぜ、不可能を可能にしようとするのか。”年の瀬は何かと振り返りがちですが、ご多分に漏れず振り返ってみると、改めてまほろばの活動は不可能から始まることが多かったと感じています。大幅に巻き戻ってしまいますが、思えば自分たちが〈和太鼓〉〈DTM〉〈歌〉という組み合わせで音楽を始めた時点で、とにかく何をするにも前例というものがなく、一歩足を出せば壁にぶつかる。そんなことやっちゃいけない!と言わんばかりに不可能が立ちはだかる。先に進むためには一先ず自分たちでやってみて、トライアンドエラーを繰り返すけれど、当初はエラーばかりで、楽曲制作も同期演奏も全く上手く行かず模索の日々でした。最初から各方面の技術者さんに頼めば、もしかすると上手く行くこともあったかも知れないけれど、今思うとそれでも難しかっただろうということが多いし、何より、2人だけで完結できないこと人に頼らなければ出来ないことというのは、ことさら制作・演奏という音楽活動の核の部分に関しては、将来的にもあまりよろしくないと感じていたので、何はともあれ2人いれば制作も演奏も問題なくできる、ということを大前提として取り組んできました。まほろばの3人目のメンバーと言えるくらい重要なパソコンを破壊したい衝動に襲われるほど自分にとっては苦しみを伴うこともありましたので、じゃあ何故今もまほろばを続けているのかと考えると、恐らく“人はなぜ、不可能を可能にしようとするのか。”という所にたどり着くのだと思います。自分たちがまほろばとして表現したいものが、不可能の向こう側にあったので、そこに挑む他なかったのだし、これからも挑み続けるのだろうと、何かと振り返りがちな年の瀬に、そんなことをふと思ったのでした。びっくりするほど「HO. KO. LA」のことに触れていない…!この続きはまた2019年に!

酉の市

もう12月も半ばですが、11月といえば「酉の市」。一と二の酉は予定があって泣く泣くやり過ごし、 あって良かった三の酉。行けてよかった酉の市。毎年恒例となってくると「酉の日、逃してなるものか!」と、もはや何かに取り憑かれたようになりがちですね。毎年決まった神社に行きますが、行きつけの神社は、いわゆる目黒の「大鳥神社」や、新宿の「花園神社」のような華やかな賑わいとは少し違う、地元に住む方が家族で代々通っているような、どこか懐かしい賑わいのある小さな小さな神社です。いつものようにご家族で商いをしている露天でおかめさん付きの縁起熊手を購入し、手締めをしていただき、さて次は社務所で熊手御守を買おうと列に並んだところ、前に並んでいたお爺さんが山と積まれた熊手をひとつひとつくまなく確認しながら、ものすごく悩んでいらっしゃる。傍から見るとどれもこれもほとんど差異のない熊手御守だけれど、恐らく手作りだろうから若干の違いがあって、そう言えば私も一昨年購入した熊手御守の稲穂の斜め具合がなぜかとても気になって、結局1年間気になり続けたことを考えると「お爺さん、分かるよその気持ち。」とその丸く小さな背中に後方から深い共感の念を送っていたのでした。

新曲について / 記憶の底に眠るもの

まほろばが今作っている新曲の一つは、実はすでに公演で演奏したことのある、とある公演の序曲として作った曲のフルサイズ版になります。こんなに早く音源にするとは思っていなかったこともあり、当初事務所との会議でもこの曲はリリース候補曲として上がっておらず、私たちとしても特に触れてはいませんでした。しかし何かのタイミングで構想がこんこんと湧き出てきたことで、どんどん曲が出来上がっていく、出来上がっていくからリリースしたい、という、スタッフからすればある意味ただ我儘を通しただけという見方もあります。もちろん完成までには紆余曲折、様々な葛藤もあった訳ですが、この曲が発しているものが今の自分たちとぴたりと重なるところがあり、苦しみと喜びとが常に紙一重な制作となりました。人が生まれながらに持っているであろう純真な心。失ってしまったようで、実は今も記憶の底で眠っているだけの、何にも染まらない無垢な心。そういったものに焦点をあてた曲です。それはただの理想で、大人になるにつれ自分を責めてばかりいる日々の中、せめて幼き頃の清らかな自分だけは肯定したい、それだけのことかも知れませんが、しかしなにかと生き辛い世の中で、自分の中に肯定すべき自分を見つけてあげてほしい。他人の目になど左右されない、ただ生きているだけで肯定されるべき自分がいることを知ってほしい。おこがましくもそんな想いでおります。新しいはじまりの扉になるような曲になったと思います。私のように、今この曲を必要としている誰かに、どうか届きますように。

身の毛がよだつ

こんにちは、春です。まほろばは夏から秋にかけての公演がひと段落し、公演と並行して行っていたいくつかの新曲の制作を引き続き行っています。そんな中で先日、北の方に住む姉からのメールに興味深い話がありました。その日は家族で紅葉狩りに行っており、思いがけず山の奥の方まで入っていってしまったらしいのです。その時ちょうど車の中ではまほろばの曲がかかっており、辺りの風景と相まってなかなかの雰囲気を醸し出していたようで、小学生の甥っ子が「怖いからもう帰ろう」と言い出した、と…。怖がりな甥っ子らしいなと思うのと同時に、ちょうどこの頃私も似たような経験をしていたので、甥っ子の気持ちが良く分かりました。まほろばは今年の下半期、様々な場所で公演をさせていただき、その都度車で移動していたので車窓から多くの日本の風景を見ることが出来たのですが、特に印象的だったのは、目的の場所に向かう途中の真夜中、高速道路が急遽通行止めになり長野県の一般道に降りた時、暗闇の中に浮かび上がる見渡す限りの田園、遠くには山々が影となった広い広い道で、エンジンを切ってみたなら風もなく、音は虫の鳴き声だけ、そして空にはぼんやりと光るお月様がしずかに浮かんでいた、あのなんとなく寂しげな景色、もうひとつは琵琶湖にある「水上の鳥居」で有名な白鬚神社付近の深い森の辺り(後にこの一帯が古墳群だった事を知るのですが)を通過した時に見た、様々な緑が折り重なる神々しい景色、どちらの景色も、ちょうど自分たちの新曲のデモを聴きながら見ることになったのですが、怖いわけではないのだけど身の毛がよだつような、忘れていた感情が自分の意思を無視して湧き出てくるような、何とも不思議な感覚がありました。普段スタジオで音楽を作っている時間が多いけれど、頭の中に広がっているものは遠く離れた、でも確かに存在するはずの場所で、心の中に広がっているのは遠く昔の、でも確かに感じたことのある感覚。自分たちの作った音楽とその場所・記憶が共鳴しあっているような感じが、自分が日本人である事を改めて教えてくれたというか、ちゃんと記憶の中にこういった日本が根付いているという事を認めてもらえたというか、何だかとても嬉しく誇らしい気持ちになりました。作曲者であれば、聴いてくださる方々に対して少なからず「こういったシーンで聴いてもらいたい」という願望があるのではないかと思うのですが、私はまほろばの音楽は自然の中で聴いてもらいたいなと思っています。私がそれぞれの場所で聴いていた曲は、またリリースされた後にお伝えできたら良いなと思います。皆さんにも是非いろんな場所で聴いて欲しいですし、私や甥っ子のようなあの「ぞわわ…」な感覚を味わっていただければな、と思うのです。